2026.10 / 寺社・文化

草むらの参道と、売っていないお守り

宮崎にあるふたつの神社を訪ねた。観光地として整えられた場所を想像していたが、実際に見たのは、手を入れすぎていない参道と、土産物の少なさだった。期待と違った点にこそ、この土地の考え方が出ていた。

目的ははっきりしていた。パワースポットを訪ねるためだ。

事業をやっていると、理屈で説明できない時期がある。判断は間違っていないはずなのに、なぜか噛み合わない。そういうときに、人は何かにすがりたくなる。信じる信じないの話ではなく、区切りをつけるために場所を訪れるという行為そのものに意味があると考えている。

宮崎を選んだのは、その対象として名前が挙がる場所がいくつもあったからだ。

青島神社でまず目に入ったのは、参道が草むらになっていたことだった。

観光地として有名な場所なので、石畳が整然と続いているものと思っていた。実際は草が伸び、足元は自然のままに近い。手入れが行き届いていないと見ることもできるし、あえてそうしていると見ることもできる。

もうひとつ、お守りが見当たらなかった。売り場がないのか、時間の問題だったのかは分からない。ただ、神社を訪れて土産を買わずに帰るという経験は、あまりない。

このふたつは、どちらも「期待と違った」点だった。しかし帰ってから考えると、そこが印象に残った理由でもある。整備された参道と豊富なお守りは、どこの神社にもある。覚えていない。草むらの参道は覚えている。

一方で、青島という土地そのものの発信には力が入っていると感じた。島の魅力を伝えようとする姿勢が見える。神社の設備を整えることと、土地のブランドを育てることは、別の投資だ。どちらに資源を振るかを選んでいるのだとすれば、筋は通っている。

同じ滞在中に、一ッ葉神社にも足を運んだ。

青島神社と並べて語れるほど、この場所を見て回ったわけではない。訪れた、という事実を記録として残しておく。次に宮崎を訪ねるときに、改めて時間を取りたい場所だ。

今回いちばん考えさせられたのは、何を整えて、何を整えないかという選択だった。

事業でも同じことが起きる。限られた資源をどこに振るかを決めるとき、つい「全部そこそこ」にしてしまう。参道も整え、土産も揃え、発信もする。結果として、どれも印象に残らない。

草むらの参道は、少なくとも記憶に残った。それが意図したものかどうかは分からない。ただ、すべてを平均的に整えた場所より、何かが欠けている場所のほうが記憶されるという事実は、自社の商品設計を考えるうえで無視できない。

もうひとつは、土地の人の印象だ。宮崎で接した人たちは、一様に穏やかだった。サービスの手厚さとは別の種類の居心地の良さがあり、また来たいと感じた理由の大半はここにある。これも、設備投資では作れないものだ。

事業で良くない流れが続いているなら、一度足を運ぶ価値はあると感じた。これは効果を保証する話ではなく、あくまで個人の体感として記しておく。

一方で、目に見えないものに意味を見いださない方には、おそらく響かない。整備された観光体験を求める場合も、期待とは違うかもしれない。

秋の宮崎は、歩くのにちょうどよい気候だった。

次に訪れる方へ目に見えないものに意味を見いださない方や、整備された観光体験を求める方には、期待と違うかもしれない。

書き手のひとこと

経営者の視点

すべてを平均的に整えた場所より、何かが欠けている場所のほうが記憶される。

― タク

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